名前の効用
すべては名づけることから始まる。
この夏、ちょっとしたなりゆきから、開業することになった。まず、クリニックの名前が必要である。
劇団の若い連中を相手に芝居の台本を書いていた頃も、なによりも先に作品のタイトルを考えた。いくつかの候補のうちから、ピタリと来る名前に決まると、どこからか力が湧いてきて心が弾む思いがしたものだ。
何年か前、公演パンフレット用に企画された座談会の席上、劇団の幹部たちが似たような話をしていた。彼らが若かった頃は、即興で芝居を創るスタイルだったから、稽古にあたって役者はまず自分の役名を考えることから始めたという。
「名前には凝ったなあ、沼津食わず五郎、しょっつる娑婆一…」
「だけど、おまえ、歯医者の名前が歯くそ口臭じゃあ…」
「ワハハハハハ…」
「とりあえず、そんなとこで勢いつけてね」
「これがけっこうつくのよ! 勢い!」
「ガハハハハハ…」
昔を懐かしみながら、おじさんたちはみなゴキゲンに話していたが、とにかく、そういうわけだから、名づけるという行為は重要なのである。
クリニックの名前はすぐに浮かんだ。東京えびすさまクリニック。これしかない、と思った。だが、問題は、保健所が許すかどうかである。さっそく電話して聞いてみた。
窓口担当者の説明によると、診療所の名前にとくに基準はないという。しかし、保険を使って診療する場合、営利目的、客寄せと受け取れるような名前ではまずい。そこに引っかかるようなら、審査会にあげて審議することになる。
私が、これこれの名前を考えていると申し出たところ、担当者は、それではとりあえず名前の由来を説明する文章をつけてくれ、と言う。そんなものならいくらでも書くが、わざわざ書いて不許可になってはたまらない。
そこで、誰に決定権があるのかと聞くと、そもそも医院の開業は許可制ではなく申告制なので、どうしてもセンセイがその名前でやるというのなら、われわれにはそれを却下する力もないわけで…と、要領を得ない返事だ。
それなら何のための審査会と説明文か! とも思ったが、ここで相手側の心象を悪くしてもつまらないので、言うとおりに作文することにした。
思うに、当局の審査にひっかかるとしたら、何故「えびす」あるいは「恵比寿」ではなく「えびすさま」なのか、という点だろう。その理由はこうだ。
クリニックは東京の渋谷区恵比寿に開設される。この土地の名は、たぶん七福神のひとりである「えびす」に由来しているのであろうが、クリニックの名は地名の恵比寿より、むしろこの神霊にちなんだものである。
「えびす」は、広義においては、繁栄と幸福の神として知られている。また、えびす神をイメージするとき誰もがいちばんに思い浮かべるのが、あの笑顔であ
ろう。私たちは「えびすさま」のご利益と笑顔をユーザーとスタッフがともに分かち合えるようにという思いをこめて、このありがたい名前を中心に据えるのである。
また、ユーザー側の気持ちを考えたときに、自分の通院先が「えびすクリニック」と「えびすさまクリニック」とでは、心の持ちようがだいぶ違う。後者の方がどこかほのぼのとした気持ちになるはずであり、それは、精神科を標榜するわがクリニックにとって、非常に重要なことである。
精神科の治療にはユーモアが必須であり、患者が予約の電話を入れたときに「はい、えびすさまクリニックです」という返事がかえってくる時点から、すでに治療は始まっている。このような点からも、「えびす」と「えびすさま」とでは、ニュアンスに大きな違いがあることは明白である。
…とまあ、このように一発かましてやったところ、保健所からはなんのお咎めもなしに済んだ。なんだか拍子抜けした気分だが、「悪魔君クリニック」ならいざしらず、そもそも「えびすさま」に問題のあるはずがなかろう。
新クリニックもスタートして一ヶ月、女子職員たちも新しい名前にすっかり慣れたようだ。電話の応対にもソツがない。ところが、名づけ親の張本人が慣れていない。滑舌も悪いせいか、相手が聞き取りにくいらしい。
「わたくし、東京えびすさまクリニックのヤマトと…、え?えびすたま? そんな玉ないでしょう、さまですよ、さーま! えびすさま!」
そんなやりとりを何度かくり返すうち、あのー、恵比寿で精神科を開業してるヤマトと申しますが…、などと返事するようになった自分が情けない。はたして、勢いはついたのか。どうもよくわからない。